2010/09/27

シアタークブル

ディンドンの住まいでもあり、活動場所でもあるシアタークブル
なんという濃厚な場所だろう。リアリティーのまっただ中にある、創造的なエアポケットのような開けた場所。
もう、言葉にならない。ここからは何かが生まれるだろう。そう思える場所。(手塚)

ジェコそしてディンドン

今日は、午後、ジェコ達に、私の手法のひとつ、体の一部分に意識を集中してみたり、その部分を移動させてみたり、別のイメージを同時に持ってみてもらったりした。そのあと、ジェコ達に私の体に対しても同じように命令してもらって私が動いたりした。その動きをジェコ達は物凄く真剣に問いを持って見てくれて、そのことによって、ジェコは、このプログラムの背景にある大きなテーマみたいなものを感じ取ってくれたみたいだった。日本にも、助成金をとって来たいと、そして藤野に滞在してじっくり一緒に作業がしたいと言ってくれた。もしそうなったら本当にインタラクティブなリサーチが始まることになる。凄くどきどきする。

そのあとシアタークブルのディンドンに、公演を見る前にあって話しをした。そしてそのあと芝居を見た。ディンドンはやっぱりすんごい人だった。というか、日本であった時、一昨年ジャカルタで再会した時の印象では、すごく優しい普通のおじちゃんという感じだったのが、もう、すごくエネルギーが縦に充満しているような、神聖な何かに触れているような存在感で、かっこ良かった。ビックリした。彼の地元で、地元の普通の人を集めて芝居をやり始めて、それが今の劇団なのだそうだ。毎日、公演がなくても稽古はやっていて、稽古自体が物凄く好きで、様々な実験的な試みをやっているという。私が昔受けたワークショップでも、無意識の領域を使うと言う方法をやっていた。それが私の凄くあっていた。

意識の領域と無意識の領域を行ったり来たりする、それが今回のテーマだそうで、ただ、芝居を見た時にはそういう要素が身体感覚的というよりは演技として行われていて、少しだけがっかりしたのだが、それでも芝居の普通に見えるような場面でもすごくドキドキしたりゾワゾワしたりした。芝居の作りはテアトルコンプリシテとか野田秀樹とかに近いような展開の仕方で、見ている人の気持ちを興に持って行くのがすごくうまい。うますぎるくらい。うますぎて普通に近くなっているというところが微妙だと感じた。でも、たぶん、その普通をつくっている潜在的な要素、普段の稽古でやっている実験的な試みを体が通過していることによる強さがすごくあって、それが私をドキドキ、ゾワゾワさせていたのではないかと思う。明日話しをじっくり聞いてみる。(手塚)

2010/09/26

ジェコの「動物ポップ」という手法

今日は、午前中に博物館で様々な伝統的な建築や芸能などの展示を見ました。
午後はジェコの稽古場を見学して、ジェコの動物ポップという手法を体験させてもらいました。
即興で私も試したりして、なかなかコアな時間を過ごせました。
動物のスピリットというのは、普段から自分の中に住んでいて、形をやるときに自然とそのチャンネルになるようです。
ジェコは、カンガルー、鳥、猿、などの動物の形を瞬時に作ってしっかりと止まる。
ヒップホップは動きの途中で止まるとき、何かバウンドのような動きをするが、パプアの動きは、バウンドせずに突然止まる動きで、こちらの方が難しいのだそうだ。
私は、即興でこの「瞬時に動物になって止まる」という動きの連続を試してみたが、なんだか自分でも全く分からなかった。ジェコは私の体を途中で止めて、これはかまきりだ、これは猿だ、などなど読み解いてくれた。
明日は、ジェコに私の手法を少し試してもらう予定です。(手塚)

2010/09/24

ジェコと会う

久しぶりにジェコと対面した。
パプアやインドネシアに関する様々な話しをしてくれた。
ノートに、インドネシアの地図をフリーハンドで描いてくれた。その器用さに驚愕してしまった。
「後ろにあるものが前にある」
という謎かけのようなものが、かれの作品づくりのコンセプトだと聞いた。
それはパプアというバックグラウンドと深く関係しているようだ。
ジェコと話しをしたTIMという場所は、ある時期に映画館、稽古場、プラネタリウム、事務所、屋外の食べ物屋さんなどなどたくさんの施設を盛り込んだ公園としてつくられた。誰でもプラッとその中に入ってお茶を飲んだり、古い友人と偶然会って話し込んだりしている。長い時間、話し込んだりぼーっとしたり稽古をしたりする。その施設のある建物の中に階段の吹き抜けスペースを利用して一つの木彫りトーテンポールのようなものが飾ってあって、ジェコにそれを見せてもらった。それはパプアのある民族のものだという。一階から三階までの間に高くそびえるそれは、人の形が縦に連ねて掘られている。けれども、そのトーテンポールの一番上が根っこで一番下が木の頭であるという。それも、ジェコの「後ろにあるものが前にある」ということの一つの例だと言う。
明日、もしチャンスがあったら実際に動きをシェアしながら聞いてみたい。(手塚)

2010/09/23

インドネシアに到着

ジャカルタに到着しました。
またしても、飛行機で耳にトラブルが。
以前、国内便で左耳の鼓膜が破れるというトラブルがあったのですが、同じ側の耳が、飛行機に乗ってる間ずっと変で、そのあと少しずつ痛みが増え、今、真夜中ですが、左耳がうずうずと動き出したかと思ったら膿みがたらーりたらーり、血に混じって垂れてきました。
やれやれ。どうなることやら。明日からインドネシアのジャカルタで、ディンドン(シアタークプル主催)とジェコシオンポ(ダンサー)に会って話しをしてきます。
このブログで少しずつ公開します。(手塚)

田植えで踊っている人

手塚夏子がインドネシアにリサーチに出発した9月23日、成田空港まで見送ってから、佐倉市にある国立歴史民俗博物館に行きました。その第2展示室「中世」の展示の中で「農村の年中行事」と題したコーナーにあるパネルに、こんな絵がありました。
大勢で田植えをしています。
よく見ると、踊っている人がいる。踊る人は面をつけている。太鼓や小鼓を打つ人もいる。田植えをする人は同じ姿勢をしている。
こりゃなんだろう。お囃子のリズムにあわせて、みんなで一斉に田植えをしている感じかな。なんか楽しそうですな。
この絵は、室町時代の8曲1隻の屏風「月次風俗図屏風」の田植え図だそうです。この解説パネルに書いてあったことがとても興味深かったので、引用させていただきます。
日本の中世は芸能の世紀ともいえる。そこにはやがて能・狂言に結実する田楽、猿楽をはじめとして、歌に舞に語りに、多様な芸場が展開するばかりでなく、文学や美術などの分野においても芸能的性格がつらぬかれているのをみる。宮廷社会に独占されていた古代芸能に対し、中世は、地方民衆のうちに伝えられた歌舞が、武士を先頭とする民衆に担われ、自ら享受されるものとなった時代であり、田楽・猿楽はその代表であり、それらさまざまな芸能は、まさしく庶民の文化として、中世的世界のきざしとともに一斉に登場した。
なるほどなるほど。この絵、とっても好きになりました。
この室町時代に描かれている田植えの、おそらく原型を伝えてくれている行事が、広島県北広島町の「壬生の花田植」。これ、ぜひ見てみたいです。

(大澤)

2010/09/16

番楽について

番楽については、神楽と同じようなものみたいですね。
ただ、ネットで調べたら神楽は大方女舞なのに比し、番楽はすべて男舞である。と書いてありました。

エビスさん
番楽の映像に出てきたエビスさんですが、日本では中央から見て辺境の地である関東の住人を「東エビス」などと言ったそうで、中国では異民族を示す「戎」「夷」「胡」という漢字が日本語のエビスに当てはめられたのはエビスにもそのような意味があったからなのかもしれないそうです。一方、古事記に出てくる「蛭子」がエビスと読まれて、(海辺への漂着物全般を蛭子と同一視してありがたがったりして)「蛭子神」すなわちエビスを祀る神社が各地に立ちました。中でも兵庫県の「西宮神宮」が有名で、このすぐ近くに人形を操る「傀儡(くぐつ)」たちが平安時代の頃から住んでいました。「えびすまわし」などと言って人形繰りによって、エビス信仰を全国に広めたそうです。各地の民俗芸能にエビスが登場するのはその影響なのではとのことです。神道では、「事代主神(ことしろぬししん)」をエビスだと言ったりしたそうです。

山伏
番楽の元となったのが山伏の人たちだということですが、山伏を始め、仏教の寺院や僧が、日本の古い芸能の発祥に関わる場合が少なくない気がしています。これらは、中世当時の政治的中心からは「無縁」の、つまり別の哲学や論理によって民衆との関わりを持っている、といった背景があるように感じます。また、田植えにまつわる祭りを始め、下層民の共同体意識によって、ある意味で権力に抗うような力を誇示する側面もあったようです。(地主の田植えによる祭りであっても、決して地主の言いなりにならないというような気概があったようです。)
ある時期までは、芸能自体が反中心主義的な(例えば、当時の原住民や抑圧された賤民や移民たちの存在を抑圧する勢力に媚びない)力強さがあり、それを網野善彦氏は「無縁」の場と呼んでいて、私はいい意味での「自治的」なエネルギーであると感じます。江戸時代にはそういった状況が変化し、様々なものがある程度中心主義的に移行して行ったようです。それが明治の近代化で決定的に「反中心主義的文化」や「自治的なエネルギー」を根絶やしにされた印象があります。(手塚)

鰄渕(かいらげふち)番楽

今年の夏に僕の地元秋田県・能代市・鰄渕(かいらげふち)で毎年開催されている神楽を撮影してきたので、Youtubeにアップしました。
能代市は広いので、僕も調べるまで、鰄渕、という地名すら聞いたことがありませんでした。
神楽の名前は“鰄渕番楽”といいます。番楽というのは番楽というのは山伏神楽の東北地方の呼び名だそうで、日本海側では番楽、太平洋側では山伏神楽、権現舞と呼ばれるそうです。
何で番楽と呼ばれるようになったのかまだ調べていないのですが、どうやら、秋田県の民俗芸能にだけ番楽という名前をみつけます。もしかしたら他の地域にもあるのかもしれませんが、まだ見ていません。
鰄渕番楽について詳しくはこちら
鰄渕についてはこちら↓
動物地名-ウグイ
魚名は地方によって非常に異なっている。
またその魚名を宛てる漢字、国字の読み方、内容もまちまちであることから、しばしば混乱を生じかねない。
愛知県海部郡弥富町の鯏浦(うぐいうら)はもと魚に成のうぐい浦と記していたのを、江戸時代の役人が鯏浦と誤記して以来、それがそのまま通用するようになったという。(「愛知県海部郡史」)。
鯏は蜊(あさり)の誤用とする辞書がある一方、鯏はあさりを指すが、うぐいとも読むと述べている辞書もある。
鯏浦はかつて木曽川の河口に面していたというし、またハマグリの名所の桑名に近いところから、アサリも採れた漁村ではなかったかと思うが、地名の由来を確かめる術はない。
秋田県能代市の鰄淵(かいらげふち)は桧山川の下流域にあるが、かつては米代川沿いにあり、ウグイがよく集まる川岸であったという古老の言がある。能代市の縄文時代の貝塚からはコイやフナ、サケの骨に混じって、ウグイの骨がたくさん出る。
江戸時代の鰄淵村は、もと田尻村と称していたのを、延宝七年(1679)に、今の地名に改めたという。
ある辞書には、鰄は魚に成の字の誤用とあるから、鰄淵は魚に成のうぐい淵のつもりでつけた地名にちがいない。
能代市に隣接する琴丘町にも鰄淵という地名があるが、そこは三種川の支流である小又川沿いにあり、ウグイがよく集まる淵だという。
鰄淵の地名の由来については別の説もある。このあたりは佐竹藩の重臣であった梅津政景の知行地であり、新田開発を行ったところであるから、良質の田を開いたことを記念して、開良所(かいらじょ)に通じる鰄淵の名を付けたという説である。
鰄淵は庶民ではなく、学識のある者の命名にかかわることはまちがいない。一説として紹介しておく。
鰄は梅花皮とも書き、東南アジア産のカイラギサメの皮で、刀の鞘の装飾に用いる。梅花形の硬い粒状の凸起がある背面中央部の皮を用いる。
南方熊楠によると、紀州田辺にウガという魚がいて、蛇に似て身長く、赤白の横紋があって非常に美しく、尾が三つに分かれ、真ん中の線だけが、数珠のように玉を貫いているという。漁師はこのウガの尾を切って船霊に供える。
ウガは新宮市の三輪崎ではカイラギと呼ばれているが、それがカイラギサメのことであるかはわからない、と熊楠は言っている(「続南方随筆」)。
しかし熊楠の説明を聞くかぎり、ウガはカイラギサメではない。それについては「長邑と宇賀の郷」の項で記してある。
いずれにしろ能代市の鰄淵がカイラギサメと縁のないことは明白である。
岩波新書「続 日本の地名」より

映像は1~10まであるので、全部見ると二時間近くになります。途中に老人会のハーモニカ演奏があったのですが、それは入っていません。地元の近所の人たちだけが三十人くらい集まっているような現場でした。
舞に同じフレーズが何度も登場するので、見ていると覚えてしまいそうです。
いろいろ分析して書きたいのですが、とりいそぎ。(捩子)

2010/09/15

奥沢神社祭礼の「手古舞」

今回私が参加した手古舞は、お祭りの時に芸者さんが男装して行なっていたもののようです。
私は、ずっと前からここでもやっていたことだと思っていたのですが、奥沢では最近やるようになったようです。日本舞踊の演目とかにもなっているみたいで、その時はいわゆる「振付」とかあるのかもしれないのですが、行列では、神輿と木遣りの前を、規則的に歩きました。ゆっくりと4歩歩き、「さーあ」と声をかけて金棒をとん!とつくというのを繰り返します。
衣装は、着付けの先生に着させてもらいました。和装の正式なものはきっとみんなそうなのだと思いますが、汗とりや襦袢に始まり、何重にも重ねながら、結んだり折り畳んだり、ひっくり返したり、複雑に着ていくのがとても面白かったです。
着心地も、腰の部分はものすごくがっしり締め付けて厚みもあるけれど、下半身はものすごく軽くすーすーする感じだったり、デザイン的なことも、一番外側は、中性的で動きやすそうなちょっとコミカル?な柄の着物、その一枚中は女性らしく色っぽい赤に花の柄の着物で、全部着終わった後、片方の肩だけめくり上げて中の衣装が見えるようにする、とか、色々気になる所目白押しで、ひとつひとつが機能とは別のところで意味を持っている感じがしました。
たしか能の衣装とかも色々意味がありますよね。こういうのを調べてみるのも面白そうだなーとおもいました。
御神輿の行列は昼の12時〜始まり、途中何回か休憩をはさみながら、15時くらいまででした。御神輿の重そうだったり暑そうだったり混み合ってそうだったりしながら飛び交うかけ声、木遣りの皆さんの語りと歌と鳴き声の中間のような渋い声の重なりを背中に浴びながら、ひたすらゆっくりと歩くのは、今までに味わったことの無いスケールと緊張感でした。
長い長い様々な連なり繋がりがあって自分もいるなあ、という感覚が背中の向こうを感じることで自然に湧いていたのが不思議でした。
そして個人っていうものが全く消えたところで人々が集い、場の空気が高まって行く様は、とても気持ちのよいものでした。
今回私は、色々な縁に導かれるままに参加して、なかなか体験できないことを体験出来た、みたいな感じで、自分の欲求に動かされてどっぷり色々調べて行くっていうところにはまだなってないのですが、自分の中に漠然〜とあった祭事やお祈り、そのことにまつわる意味や物語への興味が、ちょっと具体的になった気がしてます。
ぐうたらで、相当気が向かないと実行に移せなそうな予感(言い訳気味)ですが、ちょっとずつ気になる本とか、地元のこととか、具体的に知って行こうって凄く思いました。あと盆踊り色々行って覚えたいなーとか。
そう言えば手塚さんが蛇の話を書いてましたけど、ぱらぱらめくっていた本(「子どもと昔話」っていう季刊誌)に韓国の蛇の昔話が載っていたので今度見せますね。
ではでは、つらつらと長くなりました。(福留)

2010/09/13

奥沢の「大蛇祭り」

昨日、麻里ちゃんが参加した奥沢の「大蛇祭り」で、御神輿を先導する手古舞などを見てきました。
大蛇祭りというくらいなので、「大蛇」をわらで作ったものを持って練り歩くというような行事が前日にあったようですがこれは見れなかったです。残念。

手古舞
ウィキペディアで調べたら、「手古舞」は、江戸中期頃、芸者が山車を先導するため、男性風の扮装で登場したのが始まり。だそうです。八王子のお祭りでも壮観な本物の芸者さんが演奏している姿がありました。かなりかっこ良かったです。

「木遣り」
昨日の奥沢では御神輿の前に「木遣り」と言って歌いながら先導する人たちがいてその前で手古舞をしていました。麻里ちゃんもかっこよかったです。最後はたくさんの御神輿が集結して、木遣りの人たちが「スサノオ」に関する歌をひとしきり歌っていました。その姿がなんとも神聖な空気を醸し出して、背筋がゾワーッとしました。
※起源・・・・木遣りは労働歌として、働く者の気を力を一つに合わせ、一同の力を一遍に出させるために歌われ、目的に応じそれぞれの風土と混じり合い、変化しながら、全国各地に広がりその土地に定着していきました。

「里神楽」
そのあと神社でささやかな里神楽をやっていて、少し見ました。

内容は
1)天孫降臨、つまりニニギの命が豊葦原中津国をおさめるために天から降る話。
2)神武東征、神倭いわれびこの命うんぬん
などなどで、私は2)の途中をみました。東にもともといた人たちの姿がかなり滑稽な仮面を付けて描かれていて、なんとなくある時期に国という概念を強調する指針が介入したのかななどと想像したりしました。

「大蛇」
大蛇は、厄除や雨乞いと関係がありそうです。蛇は古代の信仰では水の神様だそうで、そういえば蛇口というのも言い得て妙なネーミングですね。
ただ、水の神様なだけに、雨乞いだけではなく水害を止めるといった効果を期待したものもあるらしく、区立図書館で調べたら結構面白い蛇の祭りがたくさんみれました。あるものは藁でできた蛇の中に人が入って苦しそうにホラ貝を吹いていました。ただ、奥沢も古くは田と畑の土地で、農業に深く関係するお祭りなのでしょうね。以前に、映像で見た大本神楽に出てくる神懸かり(神様が人に取り憑いて降りてくる)儀式では、長い縄を天井に吊るしておき神懸かった瞬間その縄に飛びつくと言うような内容で、人も蛇の動きを模したように、人々が列になり、うねうねと動き回ったすえに神がかるようでした。

2010/09/10

芸能や人々の流れと多層性

アーティストがある作品の手法を見出す時の潜在的な力をリサーチによって高めることができると思った。物事の記号的な認識を解体し、自分のウチにある欲求に方法を掴ませ、可能性の幅を広げることができる。なの「Asia Interactive Research」ということを始動しようと思っている。
日本でも呼びかけて少しずつ始めている。手始めに、相模原市の鳥屋の獅子舞を習った。

「日本の伝統芸能や民俗芸能のリサーチをしている。
その延長線上で日本以外の国、主にアジアの様々な地域にリサーチに行く。」
こう表現すると切り口としてはとっても大雑把だ。

例えば「ファンタジーについて」
とか
「無意識の領域について」
とか、そういった切り口で進んだ方がクリアーなことかもしれないとは思いつつ、自分がなぜ興味を持っていて、何を手探りしているのか自問自答する。

「日本」という領域(あるいは国家というの)は、政治的な事情で生じた境界の内側ではあるけれど、実際に認識している像はひとつの幻想だ。集団的に洗脳されている。または、依存している。そして逸脱できない。だけど、様々な言葉、民族、土地に根ざした文化はどれも流動的で多層的だし、それは人工的に引かれた国境の内側にまとめて理解できるような物でもない。だから、記号的な認識を解体し、その「流れ」や「層」を感じたいのかもしれないと思う。たぶん、私自身に繋がる何かとして。

ある芸能が生まれたり展開したりするときに起きている事、それは、その時代に起きている何かに対する身体的な反応だったり抗い(人に好きなように操られないでいたい。何かに従属したくない、という感覚)だったりする。
そして、人々の後ろ盾となるような神聖な何かと接触する。それらは共同体的な自治的領域(反権力的な)で起きる。
その神聖な何かというのが、土地によって多様で、多層的で、異質でもあり共有できる要素もある。(手塚)